こんにちわ、malinconiaです。
今回も、malinconiaについて話していこうと思います。最近では親ガチャを大外ししてしまった私はこのように文章で戦うしかないと最近考えました。再び毒親について書いていきたいと思います。私は毒親に育てられ、私の分だけ夕飯も無かったこともあったせいか、子育てに本当に苦労してきています。今回は、これをわかっていただくためにも、この本とともに自分のことを振り返っていきたいと思います。
親の義務
当たり前ですが、子供にも基本的人権はあります。それを親自身のペットか奴隷かのように自由気ままに世話をしなかったり存在自体を無視したりすることがあってはなりません。そして、子供をしつけるときに、肉体的または精神的に傷をつけてはいけません。それはしつけではなく、ただの虐待です。それをはき違えている毒親がほとんどだと思います。次にあげるのは、普通の親が普通にやるべきことを上げたいと思います。
- 親は子供に対して、基本的な世話(衣食住、睡眠、清潔など)をしなくてはならない。
- 親は肉体的精神的な危険から子供を守らなくてはならない
- 親は子供を精神的に自立させなくてはならない(愛情、愛着の形成、安心感、正常な反抗期)
- 親は何が正しくてどのように生きていくべきかなどを示さなければならない
毒親育ちは毒親家庭にどのように順応していくか
親がやるべき育児や家事などを一手に担うことになってしまう子供は、大人になって、何をしていても満足いくことができない体質になってしまうのです。思い出してみたら、音楽をやっていましたし、それなりの大学も入ったのですが、満たされたことは一度もありませんでした。音楽というのが狭き門なので、そう感じたのかもしれませんが。私が唯一やり遂げたなと思えたのは、妊娠出産です。それまでやり遂げたことは一切ないと思えてしまうほど、満たされた感覚はほとんど感じたことありませんでした。
子ども時代を失った代償
子供時代にはのびのびとやりたいことをやらせては、宿題や基本的な生活態度などを教えていくのが本当です。しかし、こうして子供時代を子供のようにのびのび過ごさせず、親の代わりをさせられていた子供は将来、親に対する罪悪感や過剰な責任感を感じてしまうことも少なくありません。
自分の事しか考えられない親から生まれる透明な子供
先ほどのように、私がどう考えるかも、どう感じるかも考えないでお金の相談ばかりしてくる親を見ている子供はどんどん透明な存在になっていきます。透明になっていくとはどういうことか。子ども自身も「自分は意味のない存在」「いてもいなくてもどっちでもいい存在」と考えるようになります。
今から思い出してもやっぱり腹が立つ私は心が狭いのでしょうか。いいえ、当たり前です。腹が立って当たり前、許せなくて当たり前。今は、一定の距離を置き、表面上は仲良くしていますが、やっぱり完全に許すところまでは行けていません。いつか、許せる日が来るのか…それとも親が死ぬのが先か…
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。